日本ピンパーム協会中部事務局の紹介。

 

  電髪パーマとはこんな感じのものです。

(重かったそうですよ、頭が…)

 ※パーマネントウエ-ブマシン(ネッスラー式)の上部は写っていません。

  (撮影は昭和30年前半の物です)

垂れ下がった電線に、電気が流れ器具の先端のクリップ部が発熱する構造です。

  髪をロットに巻き付け、フェルトで覆い、

  それをクリップで留めた状態の写真(パーマ施術中)です。 

 

昭和30年)頃の電髪はクルクルの小さなカ-ルか、大きなカ-ルしか選べず、髪全体の動きをバランスよく自在に動かすことが出来ませんでした。そのため木目の細かい強さの調整や、強さの差別化ができず、多様な髪型はできませんでした。さらに評価を落とす断毛や火傷などの事故も減りませんでした。また当時はパーマ後の髪にセット(改めてピンカールを巻く)をするのが一般的で、かけっぱなしで帰ることはできませんでした。形作りはセットで行い、それを乾かしブラシを入れ、多様な髪型を提供するという形式が美容室のパーマのありかたでした。このセットのピンカールが、ピンパーム発想の原点となります。

 ※当時はまだカーラーがなくピンカールで髪を巻きました。

 

 


このようにしてコールドパーマが電髪に入れ替わります。この電髪に使用したロット形式で髪を巻くロット派と、セットのピンカールを応用したピンパーム派に分かれます。 ではロットで巻いたパーマと、ピンパームで巻いた比較写真を掲載します。

パーマネントの方式の変化と、

施術(巻く方法)の違いを簡単に整理します。

 

発熱を利用する電髪に対して、

冷たい状態でパーマがかかるため、コールドパーマと命名される。

コールドパーマになってから、

ロットで巻くパーマとピンカールで巻くパーマに分かれる。

2010現在、一般的にパーマといえば、ロットで巻くパーマを指します。

●かかり方の違いは、カールの立つロットと、地肌に添うピンとなります。

ピンパームによるパーマ。 ロットによるパーマ。  

こんなふうに比較すると、冷静に違いが見えて面白いですね

 

(昭和33年)頃、さらに多様な髪型ができるピンカ-ルを、そのままパ-マにする発想が大門一夫・田川章両氏から発案されます。これがピンパーム創作のキッカケとなり、その提案を受けて講師陣の研究は始まります。初期講師は、有沢初枝・加藤孝子・田中三代・不動力子(あいうえお順)各諸先生方です

(昭和41年)ピンカールの能力を活かして、シャンプー後の手入れが楽で、さらに多様な髪型が簡単に得られるパーマを夢見て、美容師は高性能なパーマを求めた研究を始めます。それがピンパ-ムという技術名の始まりです。美容師の努力の賜物として、やがてレベルの高い技術に成長します。それがピンパ-ム技術を全国的に普及させるキッカケとなり美容業界に貢献すると考え、日本ピンパ-ム協会を設立することになります。 

※ピンパ-ムは日本で生まれた、パーマネントのオリジナル技術です。

このテキストが物語るように、科学者と美容師の研鑽の後が残ります。

年代的には昭和49(田川氏テキスト)頃から、昭和51(有沢氏技術書)など、

53年までの手元にある、資料の一部(黒川寛氏)と、

昭和55年発行、大門一夫氏の著書を掲載します。

昭和55まで、名古屋の講習会は小規模ながら続きます。しかし見た目に大変そうなピンパームに、勉強よりも先に諦めが芽生えます。さらに上手くなったかを手応えで感じるにも時間がかかるため、三歩進んで二歩下がるという具合です。時代は高度成長が終わり安定成長の真っ只中でもあり、面倒で難しい技術勉強は敬遠されました。そのためピンパームも、事実上息絶えます。今も潜在的な技術欲求はあるのですが、難しさが災いし、その結果多くの技術者がロットにシフトして行きました。

(平成10年)20年の長いブランクを挟んで、私は新たな勉強会を立ち上げます。私の初体験したパーマは、後が楽で誠に嬉しい印象を感じる内容でした。しかし、パーマをかけるたびにそれが失われ、扱に難くなって行ったのです。美容師さんは同じことをしていると言うのですが、私にはとてもそうとは思えません。

これではパーマは増えないだろうと、心配していたのですが案の定そうなってしまいました。そんな頃に、私の知る常識を覆す内容を持つパーマに出会います。


昔を思い出させる結果の良さと、筋の通った説明に、これでパーマのレベルアップが可能になると確信します。普及させることを考慮して発表会を行い、大阪、神奈川、東京、長野などでも講習会を行いました。しかし、約5年間の活動で幕を閉じることになります。

なぜなら従来の常識と違うため、内容が上手く伝わらないのです。もちろん上記以外にも、単発的な勉強会は行っていました。  当時はこのパーマを技法PDと呼んでいました。




現在の活動。

(平成26年)必要と思われるデータがおおむねそろい、このHPになりました。長い歴史のあるパーマ技術に、解かれていない理論があったとは驚きです。このように従来技術には欠落した理論があるため、応用したつもりでも直ぐに不安定になるのです。そのため新たなことに何度チャレンジしても、自信に結び付かないのです。

しかし、この解かれていない理論が解けたため、基本調整が可能になりました。

さらにこれを可視化するために要した時間は10年近くに及びます。現在も進行形で、収集されたデータは山のようにあるのです。より多くのお客様に喜ばれる、より多くの美容師に嬉しい、理想のパーマ技術の誕生と私は考える次第です。


 

●ピンパームで得られる、計算されたウェーブヘア。

(このウェーブも手グシの形です)

●このウェーブヘアのアレンジ。

ピンパームの能力が如実に現れる代表的な髪型がウェーブヘアで、

美容師の熟練の技が凝縮された作品で、

さらにアレンジができるため便利なパーマです。

ただし、ピンパームを正確に巻ける美容師さんを探すのが大変です。

(日本ピンパーム協会中部事務局資料より)

 

日本ピンパーム協会

中部事務局

 

代表 遠山千秋

 

 

 協会代表の挨拶。

 

新たなパーマ技術の発見と、

その性能。

 

私は日本ピンパーム協会中部事務局で代表を務める、遠山千秋と申します。協会発足当時から多くの美容師さんと関わる立場にあり、パーマの夢を語り合ったり、自らがモデルになりパーマを体験して来ました。そのパーマの理想が、シャンプー後のスタイリングの楽さ(楽さ、長持ち)と、格好の良さ(デザイン性)でした。

このようなパーマの内容が提供されれば誰もが嬉しく、これなら後世に残るパーマ技術になると確信します。しかし実際はと言うと、この内容のパーマがなかなか提供されず、おしゃれコストだけが突出してしまい、パーマ人口は大幅に低下してしまいました。

 

協会も発足当時からこの夢の実現のため、多くの美容師さんに情報の伝達を続けながら縁をつないで来ました。しかし技術レベルのアップははかどらず、私の心配は的中して2013年の段階で昭和40年代のパーマ人口にまで激減してしまいました。(日本パーマネント液工業組合の表で確認を行う)

 

そんな中、縁を持った一人の美容師さんが「こんなことが出来るようになった」と、あるパーマを見せてくれたのです。それがここで紹介するパーマ技術の原型です。この技術は私の知るパーマの常識をことごとく覆す内容を持っていて、その内容と結果に私はしばし言葉を失いました。その具体的な施術が、強さ、根元、傷みの3つに分類した基本調整です。

 

※実は、従来のパーマにこの調整を詳細に説明した文献はありません。個人技で理想に近い結果を提供する美容師さんは少数あるのですが、説明が…

 

技術開発には約15年を要したそうで、そのかいがあり従来のパーマ技術に‟解かれていない理論“を見つけることができたとのことです。また実際に傷みの少なさを目の当たりにした私は、基本技術の大切さを改めて見直します。さらにこの発見で従来パーマの不安定さも解決することが分かり、この新たな基本技術に私自身も大変ビックリしております。

  

しかし、この技術を開発した美容師さんは留まる事なく、2006年頃から施術内容の視覚化に取り組んでいたのです。それが各調整で紹介する、動きの見えるテスト、根元の動き、艶による傷みの確認と、持続性の追跡調査等です。 

 

さて、巷には色々なパーマの応用技術があるのですが、結果として「毎回違うかかり具合」「直ぐに取れる」「チリチリになる」「バサバサになる」「楽にならない」などを感じたら、それが基本に問題のあるメッセージとなります。極端な違いや不安定さを感じる場合は、各調整のどれか、あるいは全てに問題が出ている可能性が高くなります。この状態の時、紹介した調整の動きは見えません。

 

そんなことも、このパーマ技術の開発で分かるようになりました。

なお、この現象はピンパームにもロットにも共通する、パーマの普遍的な基本技術です。

 

日本ピンパーム協会の有料会員に登録して頂くと、さらに詳細な情報が分かります。 

 

 

 

 

この技術データはサイクル化(下図)して、絞り込まれて更なる質の向上に貢献するデータを提案します。

 

また、このパーマ技術は、高い安全性と環境に優しい能力を備えながら、さらに省資源やエコ化にも貢献します。