筆 新たなパーマ技術の開発者
No.18 適量を探す実験が2年目に入った頃、挫折の危機に襲われましたが、何とかあきらめずに踏ん張り、そして実験が3年目に入った頃に、大雑把な調整のイメージが分かりかけてきたのです。
それは、前もって髪条件の違いを予測(毛髪診断)することの重要性と、この予測に合わせた技術者の工夫(道具の扱い方)の大切さでした。そして分析は進み調整するためのルールがさらに明確になりました。
元々、強さの確認とその調整に納得をしていなかった私は、心の何処かに底知れない不安があったのですが、この作業でその理由が明らかになったのです。
日本でのコールドパーマの歴史はこの時点で30年以上あるのですが、この想定外の情報に私はア然となります。このまさかの展開に、「嘘でしょ…」とか、「そんなバカな…」などと自問自答する一方で、「現美容師さんはどのように調整をしているのだろうか?」という疑問が湧き上がります。
当時はインターネットがなく、私のパーマ技術の主な情報源は協会でしたが、この実験で得た情報は協会にない物でした。つまり、美容界にないデータだったため、文献もなければ公にすることも出来なかったと言うことです。
そしてこのデータから、従来パーマの成り立ちが「透けて見える」ことになり、パーマ人口の減少した理由が明確になりました。それにしても、歴史を積重ねたパーマ技術にまさか「解かれていない理論」(調整できない理由)があったとは… 私の驚きはここでした。この発見が、ベース幅の実験から7年目(昭和60年前後)のことで、そしてカルテの内容も必然的に変わって行きました。
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