2015年
8月
31日
月
筆 新たなパーマ技術の開発者
No.18 適量を探す実験が2年目に入った頃、挫折の危機に襲われましたが、何とかあきらめずに踏ん張り、そして実験が3年目に入った頃に、大雑把な調整のイメージが分かりかけてきたのです。
それは、前もって髪条件の違いを予測(毛髪診断)することの重要性と、この予測に合わせた技術者の工夫(道具の扱い方)の大切さでした。そして分析は進み調整するためのルールがさらに明確になりました。
元々、強さの確認とその調整に納得をしていなかった私は、心の何処かに底知れない不安があったのですが、この作業でその理由が明らかになったのです。
日本でのコールドパーマの歴史はこの時点で30年以上あるのですが、この想定外の情報に私はア然となります。このまさかの展開に、「嘘でしょ…」とか、「そんなバカな…」などと自問自答する一方で、「現美容師さんはどのように調整をしているのだろうか?」という疑問が湧き上がります。
当時はインターネットがなく、私のパーマ技術の主な情報源は協会でしたが、この実験で得た情報は協会にない物でした。つまり、美容界にないデータだったため、文献もなければ公にすることも出来なかったと言うことです。
そしてこのデータから、従来パーマの成り立ちが「透けて見える」ことになり、パーマ人口の減少した理由が明確になりました。それにしても、歴史を積重ねたパーマ技術にまさか「解かれていない理論」(調整できない理由)があったとは… 私の驚きはここでした。この発見が、ベース幅の実験から7年目(昭和60年前後)のことで、そしてカルテの内容も必然的に変わって行きました。
2015年
8月
15日
土
筆 新たなパーマ技術の開発者
No.17 こちらの実験は「丁度いい薬量」(適量)を探すと言うものです。当時、私が使用していた薬量は60cc位(ショートヘア)で、これをスポイドに入れてパーマを行っていました。ところが、強過ぎたり弱過ぎたりと不安定なかかり具合が出たり、傷みの強く出る場合も見られ、こんな現象が3回に1回程度の頻度で現れるのです。
同じ経験値を持つ方があると思うのですが、薬量は目的を達成する量であり、それが安心感にもなり実績や自負にもなるため、自分のやり方は簡単に変えることが出来ません。その一方で、同じような長さでも毛量の違いから「薬量も違うはず」と、漠然と考えているわけです。こんな意識が初回(ベース幅で強さが変わる)実験の挫折から強く表面化し、これによって確認する意識が強まりました。
そしてこの実験が3年目に入ったとき、かかり具合の安定を実感するに至り、その理由がデータの分析から明らかになったのです。
※モデルさんは苦情が出ない身近な2人用意して、施術内容を記憶することにします。
※また、モデル条件は、傷みのある髪でパーマ回数が年4〜5回程度の方を選びます。
※データは自作計測器で記録を取り、ねつ造の出来ないプリンターで印刷して残します。
※このデータと、髪の変化を比較すると言う手法で、1年間程度の確認を続けます。
尚、この確認は一筋縄では解けず、結果的に5年間の作業が必要となりました。
2015年
8月
01日
土
筆 新たなパーマ技術の開発者。
No.16 新たなカルテを作ると決めたものの約2年もの間、そのカルテの作成に行き詰まっていました。こんな身動きの取れない閉塞感に無意識に反発したからか、あるいはヒントとなる文献がなかったからか、とにかく直感的に実験をしようと言う選択に行き付いたのです。つまり、私の欲しいデータを得るためには、もう残された選択肢はないと判断した結果の実験だったのです。
朗報は継続して行っていた施術観察から、カールの表情に小さな違いを感じるようになっていたことです。ただし、それがどんな意味を持つのかは、まだ不明でした。それでもカールの表情に違いが出ることに気付くと言う進歩がありました。そしてこの変化が本物なら、それは新たなデータであると言うことを確信したのです。
こんな具合に複数の問題が重なる状態で開店5年目を迎えることになり、それが底知れぬ不安感と強い焦りに変わり、何とかしなくてはともがく思いが実験に駆り立てたようです。当時は課題を洗い出すと言う冷静な判断はできず、心のおもむくままに若い判断と勢いで実験に突入しました。しかもその実験は2年で強制終了することになり、仕方なくもう一つの実験に移ることになります。